アダルトゲームの歴史 1993年 その2

アダルトゲームの歴史 1993年 その2

アダルトゲームの歴史を振り返るシリーズの第22弾ということで、
1993年の第2回目になります。

今回は前回の続きの点とストーリー関連の話になります。

前回後回しにしたところということで、まずは『あゆみちゃん物語』から見ていきます。『あゆみちゃん物語』は画面に少数ながらパラメーターもありますが、これはSLG的楽しみ方をするものではなく、プレイヤーの行動回数の制限と進行度を可視化したものにすぎず、ゲームとしてはコマンド選択式ADVの範疇に含まれるのでしょう。
問題はそのゲームの中身で、ひたすら、あゆみちゃんとHをするだけなんですね。今風に言えば抜きゲーってやつです。このゲームの何が特殊だったかと言うと、ひたすらHして全てのCGを見る事がゲームの目標とされており、そのCG達成率が数字で表示されるようになったのです。
これだけだと、90年代後半から始めた人からすれば、それがどうしたんだって思うかもしれません。でも、ここにパラダイムシフトにつながる重要な部分が含まれていたように思います。
というのも、それまでのADVにはCGを全て見ようとか、CGを見るために先に進めようという概念がなかったのです。もちろん個々のユーザーレベルではそういう人もいたでしょうし、単純なCG集レベルではCGを見ることしかやることがないのですから、CGを見る事が目的とはなります。しかし少なくともゲームとして構成されたADVレベルでは、そういうことを目的としたゲームはありませんでした。特にシナリオ重視のゲームではHシーンを除けば一枚絵を見せようって意識もさほど強くなく、物語を表現する上で必要なシーンに動きをつけたり視覚的に表現する従的な存在とも言えたわけです。
そこに『あゆみちゃん物語』が登場し、ゲームの構造レベルでCGを全部回収しようという目的が提示されたのです。
とは言うものの、この時点ではあくまでADVの楽しみ方を増やす1つの方向性を示したのみであり、『あゆみちゃん物語』の登場により1夜にしてガラリと全ての認識が変化したというわけではありません。『あゆみちゃん物語』の登場だけなら、ADVの楽しみ方の幅が更に広がったという表現にとどまっていたでしょう。これに90年代後半windows初期の1枚絵を大事にする風潮が加わる事で、次第にCG100%を目指すためにゲームを進めるという流れにユーザーの意識が変化していったわけです。
これにより、ADVの物語の在り方そのものにも影響が出るようになりました。イベント時のCGを見るというのがゲームの目的になり、1つのCG(イベント)を見たらまた次のCGを目指すって感じで、日常シーンで間をつないでイベント、日常シーンで間をつないでイベントという風にシナリオ構造が固定化されていったのです。ここでCGが主となり物語が従的なものとして立場が入れ替わったのです。もっとも今はCG100%を目指せから既読率100%を目指せに拡大することでテキストの重要性が意識されるようになり、豊富な立ち絵で動きをつけることでまた構造に変化も少しずつ見られるようになったのですが、とりあえず『あゆみちゃん物語』以降数年の間にそういう変化が表れたということですね。おそらく、CGを見るためにゲームをしようという意識は、windows95時代に入って以降の90年代後半が最も強かったのではないでしょうか。たまに昔のアダルトゲームはCGを見るためのものでありという表現をするものがありますが、それは一部のCG集の話であって、ADVレベルでは完全な嘘です。いろいろある誤りの中でも最たるものでしょうね。
構造レベルで物語と絵との主従を逆転させ、絵を追うことにユーザーの意識を変化させたということで、ある意味最大レベルのパラダイムシフトが起こるのであり、『あゆみちゃん物語』がそのきっかけというか起点になったということなのでしょう。そういう意味で、アダルトゲーム史では絶対に欠かすことのできない1本なんですよね。

ここからストーリー面を見ていきますが、数が多い主流は何?って聞かれたら、ないと答えるのが正しいように思います。今ならシナリオ重視と呼ばれる作品の多くが恋愛をベースにしていますし、それ以外にしても記号化されたキャラの上に成り立っているので、広く言えばほぼ全部ラノベ系なんですよね。そういう広い意味でのまとめ方も少し難しいです。オムニバスが多かったこともあり、カオスな状況になっています。だからこそ、システム部分でも書いているのですが、汎用メニューのコマンド選択式が減ったと考えられるのでしょうし。
単なる羅列も面白くないのですが、少し代表作を挙げてみますと、馬鹿ゲー路線では『ぷろすちゅーでんとG』。笑いの感性は時代と共に変わるので今はどうかわかりませんが、これを人生のベスト3に入れる人も当時は多かったくらいです。
恋愛路線なら『きゃんきゃんバニー EXTRA』。ED後の後日談も加えたことが新しく、より恋愛ゲームらしくなりました。意外かもしれませんが前年よりもむしろ恋愛ゲームは減ったくらいなので、それだけにこのゲームの存在が大きかったです。
ファンタジー系では『ランス4』『ワーズワース』『続妖獣戦記』。『妖獣戦記』『続妖獣戦記』は触手の描写も多く、D.O.と言えば触手、触手と言えばD.O.という時代が続きます。マニアックゆえに濃いファンも多かったのですが、それだけにライト層にいつまでもうけないという側面も有していました。
フェアリーテールも『デッドオブザブレイン2』に『マリンフィルト』と、前年に引き続きホラー路線のゲームも出しています。
キャッツプロは『NOVA』や『CAT’S PART1』のようにSFにFTと異世界モノを好んで作っていましたし、ジャストは『天使たちの午後』シリーズにより、従来通りの事件+学園路線を続けていました。

そんな中、93年に新しく出てきた傾向、或いは復活した傾向とも言えるのかもしれませんが、エロはやっぱり偉大なんだなと思わせるゲームも出てきました。
92年はソフ倫発足の年であり、91年の沙織事件の影響を受けてエロ方面は自主的に大人しくなった年でした。ほとぼりが冷めてエロへの欲求が反動で更に大きくなったのでしょうか。アイデスはフェアリーテール内の更なる新ブランドとしてレッドゾーンを作ります。レッドゾーンはこれまでの美少女路線ではなく、劇画調の絵だったりアダルトビデオっぽい雰囲気の内容だったりと、より過激で大人向けのゲームを制作することになります。その第1弾が『亜紀子プレミアムバージョン』でした。
93年末にはシーズウェアから『禁断の血族』も発売され、そのインモラルで過激なHシーンが話題になりました。『禁断の血族』はそのインモラルさだけでなく、後にブームになる館モノだったり、メイドモノだったりと、様々な属性を含んでいたことがヒットの要因でもあったのでしょう。アダルトゲームらしいインモラルなエロさというのが以後のアダルトゲームの特徴の1つなのですが、エロさだけというのも正確さを欠いた表現かもしれません。
振り返ってみると、これまでのアダルトゲームにだって、『アソコの幸福』のような変態を哲学するゲームや、『韋駄天いかせ男3 戦後編』のように常軌を逸したものはありました。ストーリーの良いゲームでも主要キャラが殺されたり、『DE・JA2』なんかでも普通に陰惨な部分を含んでいました。しかしその陰惨さや陰の部分には、必ずしもエロスは伴っていなかったように思います。『狂った果実』もグロさはあっても、そこからエロさは感じられなかったですしね。
しかしPC-98後期のアダルトゲームのイメージを思い出してみると、真っ先に浮かぶのが暗い陰鬱さとインモラルなエロが融合した、そんな淫靡な雰囲気というか独特の妖しさなのです。この独特の妖しさがある意味一番の特徴でもあり、PC-98時代にあって今はなくなってしまったものの最たるものですね。じゃあそれがハッキリと表れてきたのはいつなのかと考えると、『河原崎家の一族』や『マージナルストーリーズ』内の『禁断の音律』や『奈緒美』や『禁断の血族』が登場した93年だったのではないでしょうか。
個人的に高く評価しているゲーム、或いは好きなゲームとなるとまた別になるのですが、最も93年らしさを感じたゲームとなると、『河原崎家の一族』や『マージナルストーリーズ』あたりが挙げられるように思います。

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