アダルトゲームの歴史 1992年 その5

アダルトゲームの歴史 1992年 その5

アダルトゲームの歴史を振り返るシリーズの第20弾ということで、
1992年の5回目になります。

前回は途中で終わったので、『同級生』の続きになります。

最後に、『同級生』の残した影響について考えたいと思います。大ヒットを記録し多くのファンを生み絶大な支持を得たにもかかわらず、『同級生』の後に与えた影響はと聞かれると、すぐに答えられないかったりすることが多いです。たぶん、リアルに経験して一番良く分かっているはずの人の方が瞬時には出てこないのではないでしょうか。
でも、それがある意味正解なのでしょう。ストーリー的な流行ならすぐに後を追いかける作品が出てきます。しかしゲームの場合にはそのシステムの実現にプログラム的な技術も必要とすることから、簡単には真似できない場合があります。特に資金や技術が豊富とはいえないアダルトゲームの世界では、優れたシステムほど似たようなゲームが生まれませんしね。結局『同級生』のシステムを「完全に」真似できたものは直系の後継作である『同級生2』の僅か1本しかありません。そういう意味では、非常に影響は少ないのです。
しかしゲームに含まれる個々の要素を取り出して部分的に採用したと思われる作品を見てみると、『同級生』自体様々な要素を含んでいるが故に、各方面でそれこそありとあらゆるものに影響を与えていると考えることもできるわけです。あれもそうか、これもそうかと含めようと思えば含められそうで、だからどこまでが影響を与えているのかと、すぐに1つの答えがでるわけがないのです。

たまに後の恋愛ゲーブームから入った人が、ときメモから遡って恋愛ゲームの元祖として語る場合があります。ここにはもう1つややこしい事情が加わって、続編である『同級生2』は恋愛要素を強化したことから、恋愛ゲームと呼べるような構造になっていたんですね。恋愛ゲームの前作だから恋愛ゲームなんだろうという思い込みも混ざりやすかったのです。
それでも90年代後半は『同級生2』と葉鍵にみる恋愛ゲームのヒロイン像の違いみたいな『同級生2』との比較論を多く見かけたし、共に恋愛ゲームとして大ヒットし、にもかかわらずヒロイン像が変化しているわけですから、両者を比べるのは面白い有意義な試みなのだと思います。
しかしネットとか情報が中途半端に得られやすくなり、ときメモは同級生を参考にしたらしいぜということで、比較対照が『同級生2』から『同級生』に移っていった感があるんですよね。もちろん女性との交流の中で恋愛的側面は皆無なはずはないのですが、蛭田氏も発売してみたら恋愛に着目する人も意外に多くていてビックリと語るように、上記のように『同級生』は恋愛要素は含んでいても一部分に過ぎず、恋愛ゲーとして設計されていないわけですし、また『同級生』の登場で何かが変わったとも思えません。恋愛ゲームは既に他にありましたから、少なくとも絶対に元祖ではありえません。またブームの火付け役としてはどうなのかと考えても、93年のゲームを見てみても、恋愛ゲームブームと呼べるような極端な増加はないのですよ。若干の微増はあるのでしょうが、それは80年代後半から少しずつ増えていったことから想定される上昇分の範囲内です。アイデスも『同級生』に先駆けて恋愛方面にシフトし始めていましたし、時代は『同級生』が出る前から既に動き出していたのです。

ここで恋愛に限らず広くストーリー重視という言葉で置き換えても同様です。たまに『同級生』以前にストーリーで楽しめるものがないような書き方をするものがありますが、じゃあ例えば『狂った果実』でトラウマになるほどの衝撃を受けた人は何なの?ということであり、それは89年~92年の同級生発売前までに存在したストーリー重視の流れを完全に無視した論外な話です。
そもそも蛭田氏も『同級生』にストーリーはないと語っていますが、『同級生』には大量のイベントがあるだけで、ストーリーはユーザー自身が紡ぐものなのです。そういうストーリーのないゲームでストーリー重視の流れが生まれたというのはおかしな話であり、もしエルフでストーリー重視と言い出すのであれば、92年なら『DE・JA2』を選ぶはずです。『同級生』からストーリーを楽しむ概念が生まれたというのは、絶対にありえない考えなのです(そういうことを言い出す時点で、個人的には完全にアウトだと思っています)。『同級生』はイベントの集合体でも受け入れられてもらえるという、むしろ80年代後半から発展しかけたストーリー重視の流れを一度断ち切る存在なのです(もちろん、蛭田氏は過去の自分を否定するみたいなマイナス思考ではなく、ストーリー重視があれば自由度重視もあっても良いよねって感じで可能性や表現の幅を広げるプラス思考だったのでしょうけれど)。ここでメッセージ性の強い1本のストーリーでなくても成功する事が分かったから、翌年の『河原崎家の一族』で幾重にも枝分かれするマルチストーリー路線を歩んだとも考えられるでしょうしね。

もちろん大ヒットした『同級生』で恋愛要素に初めて触れ好きになったという人も多数いるでしょうし、少なからず影響はあったと思うのですが、だからと言って『同級生』の価値は恋愛要素の導入という一言で片付くものではないはずです。96年に『下級生』が発売されたとき、実は結構叩かれました。『同級生』に恋愛だけを求めるのであれば、大して叩かれなかったはずです。元々『同級生』に恋愛要素は大して含まれていないだけに、その方面だけなら『下級生』で十分満足できたはずですから。不満があった人の多くが何を問題にしたかと言うと、『下級生』では画面クリックがなくなったために、その楽しみが失われてしまったことなのです。これは『同級生』にP&C式としての価値を見出していた人が一定数いたことであり、同時にそれがなくなったら恋愛が濃くなろうとも楽しめないという層もいるということなんです。恋愛だけに限らず、『同級生』を何かしらの1つの側面で語るのは非常に危険だし、誤解しか与えないと私は思います。1つの側面からだけではその本当の楽しさも価値も分からないし、また語ることもできないのが『同級生』だということですね。

ということなのですが、影響が断定できないと言うのはちょっと無責任すぎますので、1つ個人的な見解を書いて終わります。
上記のように、『同級生』はその描きたいストーリー・世界のために必要なシステムを導入しアレンジしています。RPGに中世ヨーロッパ風のファンタジーものが多いように、その世界を表現するに相応しいゲームシステムは皆異なってきます。『オホーツクに消ゆ』だって、堀井氏は既存のシステムに不満があったから、推理ゲームに便利なようにアレンジしたわけですしね。本来は作品の数だけシステムが異なって然るべきなのです。
これまでのアダルトゲームも皆無ではないのでしょうが、PCの性能による制約などにより、そこが上手くできないものが多かったわけでして。だからちょっとだけ性能が上がったら皆RPGにって流れもできたのでしょうし。
しかし93年にはPCの性能が向上することもあり、作りたい物語のために必要なゲームデザイン・システムを選べるようになっていきます。そうしてストーリーとシステムの融合による、小説でも映画でもないゲームとしてのゲームでしかできない物語表現が可能になっていき、その先駆けとなったのが『同級生』だったのではないかと思うのです。

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