アダルトゲームの歴史 1992年 その2

アダルトゲームの歴史 1992年 その2

アダルトゲームの歴史を振り返るシリーズの第17弾ということで、
1992年の2回目になります。

今回はストーリー面について見てみたいと思います。

いつもはゲームデザイン部分から入ることが多いのですが、ここまでの流れを踏まえて今回はストーリー部分を先にってことですね。

さて、前回に挙げただけでも方向性はバラバラなのですが、他社の作品を見てみても、『イーリス亭小夜曲』はファンタジーモノであり、それ以上にもっと細かい設定を作りこんでいる路線という特徴を有していました。
また、『シャルム』のような百合特化の作品もありましたね。『DE・JA2』はミステリーを交えた冒険モノですし、細かい分類では流行というものはなく、各自が好きなものを作っている印象が強いです。

その一方で、もっと大きな視点から構造を見ていくと、『星の砂物語2』や『RED』のようなミステリーモノは当然のこととして、『ヌーク』のようなギャグ路線にしろ、学園モノにしろ、何かしらの事件に端を発してゲームが始まるものが多いのです。恋愛を絡める作品にしても、何か学校内で事件があって、それを解決する過程で…って感じなんですね。これがPC-98時代前半のADVの基本的な作り方であると言えるのでしょう。89年頃からその傾向は出ていたのですが、より顕著に出始めたのが92年だと思います。

もちろん『卒業写真/美姫』のような純粋な恋愛モノでは事件性はないのですが、今の恋愛モノに標準となっている日常パートってものが、当時はありませんでした。
これは本格的に恋愛ゲームが流行りだす90年代後半のどこかで改めて触れることもあると思いますが、プレイ中に日付があり毎日同じような日常パートがあるっていうのは、恋愛ゲームブームが始まり恋愛SLGが主だった頃の名残という側面が強いのだと思います。
というのも、後に恋愛SLGが流行った時期が訪れますが、それは恋愛を扱った育成SLGだから略して恋愛SLGと呼ばれたわけです。育成SLGは日付や週といった一定の期間単位で進行し、基本的にその単位が繰り返されます。ADVに流行が移るに従い数値管理のゲーム要素が薄れて、その代わり1日1日のテキスト量が充実していったわけですね。そうして出来上がっていったのが今の日常パートなので、恋愛SLGが中心になる前は時間概念のあるゲームを除けば日付やそれに伴う日常パートはほとんどなかったのです。そこが今の恋愛ゲームと異なるわけですね。

もう1つ、既に前回にも挙げている『蘭丸』のような推理からSFから忍者から花魁から戦闘から何でもとりあえず全部詰め込んでみましたというカオスなのもPC-98らしいのですが、だからと言って特化作品がないわけではありません。『シャルム』なんかは百合特化でそれしかない作品でしたしね。
ただ、マイナーな属性の場合だと、認識すらしてもらえないケースはあったかもしれません。百合ブームなんてのは大分後のことですし、PCを持っている人自体少なかったので、PCでアダルトゲームをしつつ百合属性のある人が、一体どれだけいたことやら。百合属性のない人が百合ゲーをやると、エロの薄いレズ作品の出来損ないに見えてしまうおそれがあります。今ならネットを中心とした情報の共有化も進んでいますし、その作品を好きになれそうな人がたどりつける可能性は高いでしょう。しかしこの頃はその属性を好きな人がめぐり合えず、その属性を理解できない人がプレイして酷評されるケースは普通にありえただけに、特化作品が絶賛される可能性は低く、必然的に様々な人に対応できる作品が増えたのかもしれませんね。
また当時のADVの多くは主人公≒プレイヤーの関係から始まりますので、主人公が心情を語る事はあまりありませんし、姿が表示されないことも多いです。もちろん既に個性のある主人公も出始めていて、主人公=プレイヤーの図式は少なからず崩れているのですが、微妙に重ね合わせてみるような部分は残していたのです。
しかし『シャルム』のような女性主人公主体のノベルゲームでは主人公の心情が語られますし、『シャルム』や同じ女性主人公の『My eys!』では主人公の姿も表示されます。プレイヤーの多くが男性である事を前提にしつつ、主人公が女性なら重ねて見るユーザーも少ないだろうと言う事で、早くから主人公とプレイヤーの分離が始まっていたのでしょう。私は普段からノベルゲームという言葉を用いますが、ゲームとつけることに抵抗を感じノベルと表現する人もいますし、ゲームとしての在り方よりも読ませることに意識を移したことにノベルの価値を見出す人もいます。この読ませるという意識を生じさせるには主人公とプレイヤーの分離が大きな要素になってくるのでしょうが、こういう主人公とプレイヤーの分離という観点から見る場合は、女性主人公のゲームの歴史を追った方が分かりやすいです。
今思うに、これらの作品は早すぎたのかもしれませんね。百合ブームなんてそれこそ10年近く後の話です。主人公の心理描写がありがたがられる時代はアニメのエヴァ以降の話ですので、早くても95年以降です。しかもエヴァ以降から入ってきたオタクの関心は専ら男の主人公の心理描写って感じで、中途半端に狭い範囲の関心なんですよね。あずまんがやマリみてブームになったらもう俺たちの時代ではないなんて言い出していますから。それはそれで差別だよなと思うのですが、結局のところゲームがないのではなく、あっても価値や魅力どころか存在すら気付いてもらえない可能性もあった、そんな時代でもあったわけですね。

さて、本当はもっと流れるように順序立てられれば良いのだけれど、そしてそれができないのは時間の関係上ろくに構成していない私が悪いということもあるのだけれど、でも端的にこの頃の状況を示しているようにも思います。
PC-98末期のゲームには淫靡さの漂うゲームも多く、それがまた98ゲーの大きな特色ともなるのですが、92年はエロが薄くなったこともあり、そういう淫靡さの漂うゲームはほとんどありません。80年代にはアダルトゲームブランドが作るのとはちょっとスタンスの異なる際物もありましたが、そういうのもなくなっています。
しかし、陰惨さはあったのかな。『狂った果実』の一枚の絵と描写による衝撃もあったけれど、個人的には『DE・JA2』の方が重かったわけで。それは共に行動してきた者が殺され助けられないから、共有してきた時間の分だけ重みが違うのでしょう。両者は方向性は異なるものの、今風に言えば猟奇・狂気・鬱ゲーといったあたりになるのでしょうか。ゼロ年代のオタクと違っていちいち何ゲーだの何属性ってあえて分類しないから、当時はそういう言葉はなかったですけどね。
子供向けでない陰惨さがあるという面ではアダルトゲームっぽいのだけれど、裏を返せばそれくらいとも言えるわけでして。一般ゲームを出し始めたところもあるように、本当にアダルトゲームが相応しいのかという面では疑問の残るゲームも多かったのかもしれません。
というわけで否定的に捉えるならばアダルトゲームらしからぬゲームが増えたとなるのですが、その一方で肯定的に捉えるならばいろんな物が出てきたとも言えます。どれもこれも異なる方向性を向いていました。同じブランドでも次のゲームではガラリと傾向が変わるため、何が出てくるか分からないワクワク感がありました。
こうした次に何が出てくるか分からないっていう状況は、PC-98時代の1つの特徴のように思います。今は好きなブランドに同じ路線を求めるユーザーが多いのに対し、当時のユーザーは何が出てくるか分からないことを楽しんでいたように思います。その点で、本質的に方向性が正反対なのでしょう。
windowsに入ってからの90年代後半以降のアダルトゲームには、確かにストーリー重視のゲームも多いし、個々のシナリオにはいろんなジャンルが含まれているものの、広い意味では恋愛ゲームに収束しています。個別の良いストーリーがあっても、結局はヒロインと結ばれる方向に向かってしまいますからね。
そういう「恋愛」という見えない鎖がこの頃にはなかったので、恋愛を一切絡ませず突き進むことができ、その分だけストーリーも自由でした。そしてそういう状況だからこそ、逆に『卒業写真/美姫』のような重いくてストレートな恋愛話も際立ってくるのです。
このようなユーザーの方で何が出てくるか分からないのを楽しむ風潮がある一方で、作り手の方にも他所とは異なる道を進むという方向性が出始めたように思います。これはストーリーだけではなく、次回扱うゲームデザイン面もそうなのですが、ちょっとずつ自分のところだけの要素を取り入れてきています。その代表格がアリスソフトなのであり、あるゲームを作ろうと思ったら先に他所が発売してしまったので止めてしまうという気質でしたから。アリスが支持を得た背景には、そういう気質とユーザーの方向性が合致していたからというのもあるのでしょうね。アリスはあえてその時々の主流から外れるという気質でしたので、主流の変遷の歴史みたいな観点からは語りにくい面があります。でも、もっと奥深くに横たわるバックボーンというか、98時代の「らしさ」という最も大きな視点からは、アリスが最も「らしさ」を有していたのかもしれませんね。

さて、ここからグラフィック面から入りますが、アリスの『Super D.P.S』というオムニバスゲームの一部のストーリーで256色表示になりました。PC-98の新作では、これがおそらく初の256色表示だと思います。ただ若干注意すべきなのは、あくまでもアダルトゲームのメインであるPC-98で初だということです。新作はほぼPC-98から発売されていたのですが、その後MACやTOWNSとかにも多数移植されていましたし、移植版では256色表示や音声付も珍しくなかったですから。
グラフィック技術は年々上昇していくのですが、その中でも92年に一番目立ったのが天津堂の『マーシャルエイジ』でした。特に人物の肌の塗り方に定評があり、天津塗りと呼ばれるほどでした。
魅せ方やサウンドで個人的に気になったのは前回も書いた『新宿物語』でした。OPのMUSEさんのサウンドが秀逸だったということもありますが、立ち絵を廃して一枚絵の連続で動きを見せる手法がちょっと他と違う印象を抱かせたものでした。

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