アダルトゲームの歴史 1987年 その1

アダルトゲームの歴史 1987年 その1

アダルトゲームの歴史を振り返るシリーズの第5弾ということで、今回は1987年の1回目になる。

1987年に発売されたアダルトゲームは、多少の増減はあると思うが、それでも50本を超え前年より更に増えた。

<総論>


前年の1986年に新しい方向に進みだしたアダルトゲーム。
それは『天使たちの午後』の登場により新しい風が吹いたという面はあるものの、それ以上に大手ブランドがごっそり抜けてしまったが故に、必然的に変わらざるを得なかったという側面の方が強かったのではないだろうか。

そういう意味では、やや受身的な変化だったともいえるかもしれないが、他方で、アダルトゲームの歴史において最大規模の変化であったことも確かなのだろう。

そして1987年は、基本的にはその1986年の傾向を受け継いでいる。
しかし単に受け継いだのではなく、そこには、前年よりも能動的な側面が見えてくるように思える。

<原点回帰>


さて、ついに50本を超えたアダルトゲームだが、上述したように基本的には前年の拡大路線といった感じが強い。大雑把に言えば、ADV系が半数に、残りはディスクマガジン・CG集系とパズル・ミニゲーム系というところである。

ただ、前年の拡大路線という以上に、既視感が漂うような原点回帰の傾向が強かったのかなと思う。推理小説で言う本格派の後の新本格派登場みたいな感じというか、昔の流行がもう一度巡ってきたような印象を受けた。

何を根拠にそんな印象を抱いたのかと言うと、野球拳であるとかパズルであるとか、そういう類のゲームの数が増えたのである。ちょっとしたミニゲームをやって、クリアしたらご褒美にCGが見られるってタイプのゲームが増えたということだ。どことなく、83年の状況を思い出すのは私だけだろうか。

もちろん、1983年時はご褒美が主にロリ系の絵だったが、それが今度は美少女などロリ系以外にも広がったということもあり、完全に元に戻ったわけではない。時代に即した変化は見られる。だからこそ、新本格派みたいだと例えたわけでもあるのだが。

1987年に発売されたこの系統の作品は、10数本存在する。これは、前年から倍増している計算になる。
その理由として考えられるのは、前年から美少女を見てもらいたいという傾向が強くなり、その、可愛い美少女のCGを見せたい、でも少しはゲーム性も混ぜたい、それでいて85年時の大手ブランドのような凝った作品は作る技術がないということで、こうした結果につながったのかもしれない。

一方で、CGを見せたいなら面倒なことをせずに直球勝負でズバっと見せれば良いのだ・・・と開き直ったのか、CG集の類も倍増している。
この年のCG集の特徴としては、美少女だけでなく『麗奈』(フェアリーテール)のような実写モノが増えたことが挙げられる。

<美少女>


それと、忘れてはならないことだが、CG集関係が増えるということは、それだけグラフィックに自信があったということであり、言い換えればグラフィック技術が向上したということでもある。例えば、WIN95登場でグラフィック水準が大幅に向上した1996年も、CG集関係が増えている。

そもそも、美少女ゲームにとって何より大事なのは美少女の存在である。
『天使たちの午後』以前以後で語られやすいのも、それ以前の作品は確かにアダルトゲームかもしれないけれど、キャラが可愛くないじゃん・ぶっちゃけ使えないじゃんってのがあったからなのだろう。
1986年からは少しずつ美少女と呼べるキャラが生まれ始めているのだが、この時代だってこんな可愛い絵があったんだよと言えるような、今日でも通じるような絵は残念ながら存在しなかった。

そして、そういう状況だっただけに、『悪女伝説2』のインパクトは絶大だった。
今でも、1987年の作品だってここまで出来るんだよと示すのに、最も名が挙がりやすいのが『悪女伝説2』だと思う。この絵ならば、当時を知らない人でも可愛いと思えるのではないだろうか。少なくとも1986年までの作品とは雲泥の差であり、『悪女伝説2』のような作品が出てきたということが、同年のグラフィックの向上を証明しているといえよう。

<ノベルゲーム黎明期>


CG集は『美しき獲物たち2』(グレイト)のように、本当にCGだけを見せるというものもあったが、多くの場合は、つなぎに何かを加えてきている。
その1つの方向性が、上記のパズルなどのミニゲーム性を加える路線になる。
そしてもう1つの方向性は、テキストをつけて物語性を出すことで間をつなぐというものであった。代表例としては、『ロリータ姫の絵日記』(パスカル2)などが挙げられる。

キーボードのボタン1つ(今ならマウスのクリック)でテキストを読み進め、そこに絵と音が加えられ、シナリオと融合して盛り上げる。
時に紙芝居と揶揄されることもあるが、それが今日のノベルゲームの最も基本的な構成要素と言える。
その起源はどこかと考えた場合、CG集にテキストがつきストーリー性がついた時点で、このノベルゲームの基本的な構造ができあがったと言えるのではないだろうか。

<ノベルゲームとは>


これまでにもいろんな記事で書いているのだけれど、初見の人もいるかもしれないし誤解のないように繰り返し書いておく。

ゲームジャンルにおいて「ノベル」という言葉を最初に使用したのは、1988年のシステムサコムの『DOOM』『シャティ』『ソフトでハードな物語』などに用いられた「ノベルウェア」であろう。
だからそれ以前のゲームに対しては、厳密にはノベルという呼ばれ方はされていないことになる。

もっとも、読ませることを主にしたという意味でシステムサコムは「ノベル」という言葉を使用したのであるが、読み物は小説だけでなくマンガだって何だってありうるわけで、他所では「マガジン」という表現を用いたゲームなどもあった。
なお、1988年にノベルという言葉が用いられるようになっても、まだあまり浸透していなかった。
システムサコムのノベルウェア(1988~)にしろ、チュンソフトのサウンドノベル(92年時点)にしろ、カクテルソフトのBAKAノベル(1993)にしろ、一部のブランドではノベルという文字を用いていたし、それをプレイした人は知っていたはずなのだけれど、広くは普及していなかったのである。
一般的に幅広く知られるようになったのは、『かまいたちの夜』(1994)の大ヒットがあったからなのだろう。

そして「かまいたち」以前にも、今の視点から判断すると、どう見てもノベルゲームにしか見えないゲームも幾つもあった。
しかしまだノベルという言葉が普及していなかったことから、ADVと呼ばれていたケースが多いのである。
こう書くと、ノベルと呼ばれていないのならば、ノベルと表記すべきでないと感じる方もいるかもしれない。

では、デジタルコミックの元祖は何かと聞かれた場合、どう答えるか。
最初にこの言葉を用いたのは『うる星やつら STAY WITH YOU』(ハドソン、1990)になる。
しかし、ハドソンが前年に発売した『コブラ』も同じ形式を用いていることから、一般的には『コブラ』が元祖だとされている。
これはメーカーがその名称を用いたか否かではなく、ユーザーの側でその形式を採用しているか否かを判断していることになる。
同じことは現在でも当てはまる。アダルトゲームの今の大多数はノベルだと言って、それに反対する人はいないはず。まぁ人によっては紙芝居だと揶揄するケースもあるが、何にせよ多くの人がノベルという認識だろう。
しかし、ほとんどのゲームは、公式ではADVという表記になっている。表記通りにしか判断しては駄目というのであれば、「現在のアダルトゲームにほとんどノベルは存在しない」という結論になってしまう。
今のエロゲにノベルゲーは存在しないと言われて、それで納得する人がいるだろうか。

また、メーカーの記載が全てなんて言ったら、それこそ言ったもの勝ちになり、全く収拾がつかなくなる。ノベルとメーカーが言ったからノベルなんだっていうのは、他者の言うことを鵜呑みにしかできず自分で判断できない、とても愚かな行為でしかない。
そもそもジャンル分けも便宜上なされたにすぎないわけで、いつ呼ばれだしたかよりも、同じ構造を持ったゲームは同じ分類にまとめた方が便利である。この当時はそう呼ばれていなかったなどと言われても、後の人からすれば、そんな事情なんか知るかよって話だし。
だから、1988年のゲームより先のゲームに対しても、今のノベルと同じ構造を持っているゲームに対しては、ノベルと表現すべきなのである。

ところで、ADVとノベルの構造的な違いは幾つかあり、言葉のラリーやキャッチボールという構造の従来のADVに対し、ノベルゲームは一方向に進行していく。また当時のADVは主人公がプレイヤーの分身であるケースが多く、分身でないにしても少なくとも同じ視線に立っていた。これに対し、ノベルゲームでは主人公とプレイヤーが分離され、プレイヤーとは異なる主人公の物語を眺めるという構造のものが多い。
かような主人公とプレイヤーの完全なる分離は、ADVという枠に捉われたゲーム機のADVではかなり後の話になってしまう。
しかしCG集から発展してきたタイプのアダルトゲームでは、女の子の独白とか体験談を読むって形のものも多かったことから、分離がわりと早くから実現していた。

こういうノベル形式の作品は、前回も書いたように1986年頃、具体的には『シンデレラペルデュー』が元祖と考えられるが、その数が増え、一つのジャンルとして言えるほどに目立ち始めたのが1987年なのだろう。
一本だけなら突然変異の例外とも言えるかもしれないが、数が増えてくると従来のADVとは異なる独自の文化として存在していたんだよなと思えるわけで、1987年のゲームからは、そういう独自のノベルゲーム文化の芽生えという意識が伝わってくる。

<ノベルゲームと分岐>


ここまでは、主に小説のように読み進めるという観点から話してきたが、ノベルゲームというジャンルにおいてゲーム性を付加させる場合、多くは途中に選択肢を用意し、その選択に応じて直接展開が変わるようにするというものになる。

そのような選択肢による分岐という構造が見え始めたのは、繰返しになるが1986年に発売された『シンデレラペルデュー』(全流通)が最初である。
もっとも、この作品は、車で行くか電車で行くかの2択といった感じで、単純な2択を繰り返すものであった。

そのため、あまりゲームらしさを感じられなかった感もあるのだが、1987年の『全国ナンパ修行たそがれ京都編』や『真夜中のラブコール』あたりになると、選択肢も3択になり、少しゲーム性が増している。

なお、今日では、実質1本道の作品でもノベルゲームとして認識されているので、特に問題はないのかもしれないが、仮に、もっとゲームらしい分岐が欲しいのだと言うのであれば、マルチストーリーとして展開が大きく変化するという点まで求めるのであれば、それは翌1988年まで待たなければならないと言えるのだろう。

<ビジュアルノベル>


ノベルゲームと関連するようで実はあまり関係しない話に、テキストの表示方法の問題がある。

ゲームジャンルはそのゲームシステムの構造から判断されるものであり、テキストの行数や画面のレイアウトなどの見た目で決まるものではない。
個人的には表示方法とゲームシステムは別なのであるから、両者を混同すべきではないと思っている。
しかし、個人的な考えを別にするならば、混同して語る人が多かったことも事実ではある。
具体的に言うならば、90年代半ばにサウンドノベルで育ってきた人の中には、全画面に文字が表示されるのがノベルゲームであり、画面下部に3行程度表示されるのがADVだと言い出す人が結構いたのである。

しかし上記の見解だと、テキスト欄が画面上下に表示されている場合はどっちに属するのか、画面を左右で分割し片側全体に文章が表示された場合にはどうなるのか等、基準があまりに曖昧すぎる。
そもそも、最初に「ノベル」と題して発売されたシステムサコムの一連のゲームでは、1つのウインドウに表示される文章は多くても6行ほどだった。そして、必要に応じ、表示させるウインドウの数の方を増やすのである。
最初にノベルゲーと名乗った作品を元祖として基準にすることはあっても、いやいや俺の考えと異なってしまうからと、後世の人がノベルゲーではないと言い出すのは変である。画面全体をテキストが覆うからノベルゲームであるという見解は、客観的事実に反し、ありえないのである。

もっとも、ノベルゲームにもいろいろ種類や態様がありうるのであり、その中の一つの態様として、画面全体をテキストで覆う形式のノベルゲームがあるのだと、それがビジュアルノベルだと言うのであれば、それにはそれなりの説得力がある。
実際、90年代後半には、ビジュアルノベルの定義として、そのように主張する人も多かった。
気を付けてもらいたいのは、上記見解によれば、テキストが画面全体を覆うからビジュアルノベルなのであり、覆ってなければ別のノベルゲームになるということである。両者は別なのだ。
今日のアダルトゲームは大半がノベルゲームであるが、ビジュアルノベルはほとんど存在しない。近年は両者を混同して考えてしまう人が出てきているが、それは明らかに誤りである。

ところで、画面全体にしろ6行ほどにしろ、いずれにしろ画面の多くにテキストが表示されるということは、3行スタイルとはまた違った機能を有する。
即ち、3行スタイルでは会話による短文が中心になってしまうのに対し、長めの文章を読ませるというスタイルからは、全画面などの3行以上の形式の方が文章が途切れないで表示できるために適しているのだ。また、一度に多くのテキストを表示できるということは、一画面内の情報量が増えるというメリットもある。

もちろん、画面に占めるテキストの割合が増えれば増える程、その分だけグラフィックが犠牲になってしまう。
テキストを重視するのか、グラフィックも重視するのか、作品のスタイルによっても、どちらが適しているかは異なってくるのだろう。

1987年には『ザ・病院』(PSK)というゲームがあり、このゲームは画面のほとんどを文字で覆っていた。そして、たまに小説の挿絵風にグラフィックが表示されるのである。
上述のように、私は見た目では判断しないが、もし仮に見た目で判断する人の考えに基づくのならば、これはまさにノベルゲームとなるのだろうし、その観点からは元祖ノベルゲームとなるのかもしれない。

ちなみに、この作品は、右端に細く用意されているコマンドを選択することから、普通の考え方からすれば、即ちゲーム形式で判断するならば、コマンド選択式のADVとなる。
コマンド選択式ADVではあるが、『ザ・病院』は文章を読ませることに重点を置いた作品であることから、このような全画面方式を用いたのだろう。

なお、『ザ・病院』は白黒画面だった。
当時は一般モノでも『カサブランカに愛を』のようにストーリー重視という姿勢を明確に打ち出すために、あえて白黒にしたゲームもあった。こういう点からも、本作のテキスト重視の姿勢が見てとれる。
加えて、『ザ・病院』はPC-88唯一の400ライン作品であり、長時間テキストを読んで貰うためにはフォントの見易さや綺麗さも大事なんだと説いた作品でもあった。

もう一度要点を纏めると、
1)1987年には読ませることを意識したアダルトゲームが出てきた、
2)全画面のテキスト表示は必ずしもノベルゲームには直結しない、
3)読ませることを意識したゲームはコマンド選択式で先に登場した、
となる。

<ノベルゲームの目的>


読ませることを意識したのがノベルゲームだというのが、おそらく今の一般的な考え方だと思う。
そうなると、読ませることを意識した作品、いわゆるストーリー重視であるとかシナリオ重視の作品が、コマンド選択式で先に発展していくことは、今の観点からは少し意外に思えるかもしれない。

それでは、この当時のノベルゲームは何を意図していたのか。
『真夜中のラブコール』のように、ゲームシステムにおける構造的な面ではノベルゲームと呼べるものが出てきたものの、そのシステムの使われ方、主目的とするものは今日と違っていた。
もう既に上でも書いているのだけれど、つまり今日のストーリーを読ませたいが故のノベルゲームではなく、CGを見てもらいたい、或いは分岐による展開の変化を見てもらいたいが故のノベルゲームなのである。
したがって、ストーリーを読ませることを主目的としたノベルゲームという意味ならば、一般PCゲーを含めても翌88年のシステムサコムのノベルウェアあたりを待たなければ出てこないことになる。

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