マルチフラグメントシステムとは

マルチフラグメントシステムとは

マルチフラグメントシステムとは何かに関しては先日少し書きましたが、
これはこれで別に、単独で扱うべきかなと思いましたので。
よって今回は、マルチフラグとは何なのかについて考えてみます。

まず前提として、「フラグを立てる」という言葉があります。
ADVファンなんかには、すっかり同じみの言葉ですよね。
逆にゲームを全くしない人にはサッパリ解らないかもしれません。

フラグとはフラグメントの略ではありますが、
語源云々は省略してとりあえず意味だけを言いますとね。
フラグを立てるとは、決められた条件を満たしていくという事になります。
例えばAというルートを進めるとしましょう。
誰と会話しなければならないとか、このアイテムを使う必要があるとか、
当該ルートのクリアに必要な幾つかの要素をフラグと言い、
このフラグを順次満たしていくことをフラグを立てると言うのです。

で、本題のマルチフラグに入りましょう。
基本的なゲームはルートが1本です。
しかし中にはルートが複数存在し、
その複数のルートを同時に進行させるゲームも存在するわけでして。
一方でAルートのフラグを立て(①、②、③、…って感じにね)、
他方でBルートのフラグも立てる(Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ、…って感じでしょうか)
必要があるわけです。
フラグを複数立てなければならないから「マルチ」と付いて、
それで「マルチ」フラグメントシステムなんですね。

では、マルチフラグメントシステムにはどういう魅力があるのでしょうか?
まずは単純にやることが多くなり、ゲームに幅を持たせる事が出来ます。
2つのルートがあると、極端に言えば倍のボリュームですしね。

そしてそれに加えて、時にはAルートの影響がBにも及ぶ、
或いは反対にBルートの影響がAにも及ぶってことが出来ることです。
これによって従来の一本道的な流れに横の繋がりも持たせられ、
ゲームの幅は更に広がりつつも全体の纏まりも生み出せるのです。

このマルチフラグメントシステムの元祖が何なのかは、
どこまで含めるかで変りそうなので、イマイチハッキリしません。
こうした考え方の起源を辿れば、
TRPGの複数の依頼をこなすという思想になるかもしれないですけどね。

そういうわけなので、仮にADVが先だったとしてもですね、
どちらかといえば自由度重視のRPG等で
見かける頻度が大きかったのではないでしょうか。

さて、マルチフラグはいろんな要素を絡み合わせ、
それによってゲームに濃密さを増してくれるでしょう。
このシステムを使ったゲームを初めてプレイしたときには、
きっと「すげぇ~このゲーム神ゲーだ~」って思うくらいに
インパクトはあると思います。

もっとも同じシステムを用いたとしても、
当然ながら出来の良いゲームと悪いゲームがあります。
マルチフラグを用いたゲームの良し悪し…
私はそれをこう考えます。
Aルート単独でも「完結」するけれど、
Bルートから「干渉」することで違った展開も見ることができるか否か。
「完結」と「干渉」のどっちが欠けても不十分だし、
またそのバランスも重要になるでしょう。

このシステムを見慣れていない人は、
とかく「干渉」出来る点にのみ目がいってしまいます。
システムを新鮮に感じてるうちは、それで十分楽しいでしょう。
しかし、問題はその感覚が薄れた時です。

「完結」の要素が弱く「干渉」の要素ばかりが強くて一杯あるとですね、
雁字搦めになっちゃうんです。
結局最後は、必要なフラグを解除していくことだけに奔走する、
フラグ解除ゲーの様相を呈することになります。
個人的には演出的意味合いもかねて、
「切り札」として数箇所の使用に留まる方が良い気がしますね。

自由度重視のRPGや『同級生』系のゲームは幾つものルートが同時進行します。
あまりにたくさんのルートが絡み合い、それが全て必須になったら…
もはや一本道と変らず、自由度なんて存在しなくなるでしょう。
またザッピングシステムと組合せた『街』は、
ザッピング本来の持つ自由さを奪い去りました。

つまりね、様々なものを関連させるという「干渉」の要素のベクトルは、
根本的には「縛り」にあるのだと思います。
それ故に「干渉」要素の「過度」の導入は、
「自由」というベクトルを持ったシステムとは相性が悪いと考えます。
自由と制約、何事にもバランスは大事ですからね。
上で「干渉」に並んで単独で「完結」するという要素をあげたのは、
そうした理由からです。
「干渉」がなくとも「完結」できる、
それは「干渉」に縛られないという点で「自由」のベクトルを持ちますから。

自由度が奪われてしまうと感じてしまう作品は、
大抵の場合「完結」の要素が欠けているんだと思います。
まぁ、その両方の要素のバランスが一番難しいのでしょうけどね。

「干渉」できることでゲーム性は増すはずです。
しかしあまりに度が過ぎると、かえって自由さを失い、
プレイヤーの裁量の幅を狭める点で逆にゲーム性を無くしてしまいます。
マルチフラグメントシステムは、
そんな扱いの難しい諸刃の剣のような存在だと私は考えるのです。

こう書くと、すっごくシビアっぽく感じるかもしれません。
でもさじ加減が難しいって考えるのは、
失われるものの楽しさを「知っている」からこそです。
知らなきゃその人が初めてプレイしたゲームを標準的なものと考えて、
特に違和感も感じないでしょうから。

例えば『街』しか知らないと、ザッピング要素でプラスに、
マルチフラグでもプラスにと評価してしまうでしょう。
ザッピング本来の楽しさを知らないから、
どれだけ制限された無理な形で使われてるかが解らない。
マルチフラグと関係のないザッピングも想像できないから、
両方のシステムはどっちも必要不可欠な一体のもので、
片方がなければゲームが成り立たないとすら考えてしまうのです。
そういう人は失われた楽しさを知らないから、
プラスの面しか見えないのでしょう。

そしてね、実際のところ古いゲームをやる人なんてそんなにいませんもん。
年を取るとゲーム自体やらなくなる人も多いし、
他にも機種間の壁とかもありますしね。
何十年も読み継がれる小説とかとの違いはそこにも出てきます。
そうなると「知っている」人って、案外少ないんですよね。
しかも現在進行形で減っていく一方です。
そうであるならば製作側としては、
深く考えずにじゃんじゃん注ぎ込んじゃう方が賢明なのかもしれません。
文句を言うジジイはいずれ消えてくんでしょうから…
知らない人ほど楽しめる…皮肉な結論ではありますが、
何事も現実とはそうしたものなのかもしれないですね。

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