<ゲーム雑記> ノベルゲーの歴史の補足

<ゲーム雑記> ノベルゲーの歴史の補足

以前書いた「<ゲーム雑記>ノベルゲームの誕生の歴史や意識の変化」の、
補足のようなものを。

本当はそっちを直接補足した方が良いのですが、
時間がないのでその前段階のメモのようなものとして別に書いておきます。


何と言いますか、ちょっとひっかかることがあってね。
「例え」は私も良く使うのだけれど、
それを額面通りに受け取られるとおかしなことになる場合もあるわけでして。

具体的には、チュンソフトのサウンドノベルを知らない人に説明する場合、
私はよくゲームブックをコンピューターゲーム化したものと表現します。
世代によってはゲームブックに馴染みがないかもしれないので、
この例えが今現在でも伝わりやすいのかは少し疑問も残ります。
そうなると違う説明を考えなければならないのだけれど、
80年代はゲームブックも多数売られていましたし、
今でも全く売っていないわけでもないので、
たぶん知っている人も結構いるのではないかなと。

まぁ今回はその話はどうでもいいのだけれど、
大事なのは分かりやすく説明するために、
あくまでも「例え」として用いているだけってことなんですよね。

少し前なのですが、ノベルゲーの説明をするには、
ゲームブックの名を挙げなければ駄目と言い出す人を見かけまして。
一昔前の私ならその意見に同調したかもしれませんが、
今はその見解に対してはハッキリと「ノー」と答えます。
内容を伝えやすいので例えで利用する分には全く問題ないのですが、
単なる例えなのだから別の物でも構わないはずですし、
必ずしもゲームブックの名を出す必要はないのです。

もう少し噛み砕いて書きますと、
今の大多数のノベルは「読むこと」に重点を置いた「小説」に近いものであり、
分岐による「展開の変化」を楽しむことを目的とした「ゲームブック」とは、
基本的に方向性が異なります。
サウンドノベル、特に最初の『弟切草』なんかは、
読ませることよりも分岐による展開の変化の楽しさを重視した作品であり、
まさにゲームブック的作品と言えるのでしょう。
だからゲームブックからサウンドノベルをつなげて説明するのは楽だし、
それ自体は決して間違ってもいないと思います。

しかしそれより先に発売された「ノベルウェア」はゲームブック的ではなく、
小説のように読ませることを主目的として設計された作品でした。
今日の読むことに重点を置いたノベルゲーの根本部分は、
どちらかと言えばノベルウェアの理念を受け継いだものであり、
その説明の中にゲームブックの存在を入れるべきという必然性はないのです。

また今日のノベルが読むことを主目的にしているとはいえ、
それでも多くの作品は選択肢による分岐も多少はあり、
その点においてゲーム足りえると言えるのでしょう。
ただ、この選択肢があって多少の分岐をするという構造も、
既に80年代からあったんですよね。
問題はこの分岐するノベル構造がゲームブックを意識していたかなのです。
これらがゲームブックを意識していたのであれば、
ゲームブックの名は外せないでしょうから。
しかし、中にはそういう作品もあったかもしれませんが、
私はちょっと疑わしいように思うのです。
ゲームブックのコンピューターゲーム化を念頭に置いているのであれば、
もう少し分岐の多さに力も入れられていたと思うからです。
読ませる、或いはCGを見せることが主目的であり、
分岐は最低限のゲーム性を持たせるための従的なものにすぎないのだと。
というか、コマンド入力式や選択式の変化・変遷の過程で、
一つの方向性として生まれたように思います。
従ってあらためて古い作品を振り返れば振り返るほど、
ノベルゲーの起源をゲームブックとすることに対する違和感が大きくなるのです。
昔は私もゲームブックを起源として説明していましたが、
いろいろ調べれば調べるほどにその違和感は大きくなり、
今ではそれは誤りなんだと考えます。
そういう意図もあり、以前のノベルゲーの歴史のコラムではあえて、
ゲームブックという言葉を一切用いずに説明したんですけどね。

まぁ何だって構わないってよ、興味ないって人が大半でしょうけどね。
そもそも私の違和感の原因となった作品らをプレイした人自体、
今では少なくなっているのでしょうから。
ただ強いて言うのであれば、もし80年代のPCのADVをやっている人ならば、
この違和感はきっと感じるはずなのですよ。
安易にゲームブックから説明しようとする人がいるならば、
それはコンシューマーしか知らない人でしょう。
もし仮にP80年代のCゲーもやっていたと言うならば、
それはモグリかニワカでしかないと思う。
今はあまり他所のサイトとか訪れることがないので、
他の人がどう説明するのが多いのか知らないのですけどね。
私がどういう視点で読むかというと、
もしノベルの歴史について安易にゲームブックから語り始めるのであれば、
あぁ~これは駄目だなって思ってしまうでしょうね、きっと。

無駄に長くなってしまいましたが、端的に纏めるならば、
「安易にゲームブックから説明するのは間違っている」ってことですね。

そもそもね、ADV全般に言える話なのですが、
あちこちで家庭用ゲーム機のADVから話を始めて、
途中からPCゲーに中心が移るような書き方の物が多いように感じますが、
それってその人のゲーム遍歴でしかないと思うわけで。
他ジャンルはともかく、ADVに関しては常にPCゲーが先んじています。
私自身もこの発想は面白いなと思ったものが、
よく調べたら既にPCゲーでやられてたってケースに何度も出くわしていますしね。
その度に、個性重視の私はいろいろ修正を余儀なくされるのですけれどw
(ただ、ノベルだらけで技術的進化が止まった近年に関しては、
新たな試みがコンシューマーでなされることが多く、
むしろ近年に関してはコンシューマーが見逃せないのかもしれませんが)
つまり歴史のような視点で語る場合には、
コンシューマー中心に考えるのは誤りなんですよね。

本当はもう一個書きたいことがあって、そっちの方がメインなのですが、
長くなるので明日に回します。


関連するタグ 


  面影レイルバック      ヤミと祝祭のサンクチュアリ   それでも妻を愛してる2
カテゴリ「コラム」内の前後の記事





管理者にだけ表示を許可する

トラックバック http://advgamer.blog.fc2.com/tb.php/1828-41b420e8
| ホームへ戻る |