CLANNAD (クラナド)

CLANNAD (クラナド)

『CLANNAD (クラナド)』は2004年にWIN用として、
keyから発売されました。

集大成。
まさに、その一言につきるのではないでしょうか・・・

CLA02.jpg

keyのメンバーが製作してきたいわゆる泣きゲーと呼ばれる作品には、
『ONE』『kanon』『AIR』がありました。
(『MOON.』も含めても良い気もしますけどね)
そしてそれらの作品の各要素にプラスアルファをしたものが、
それが『CLANNAD』なのだと自分は認識しています。

keyの作品についてはこれまでも何本も書いてきたので、
ストーリーに関してはあまり深くは書きません。
基本的な日常シーンはギャグ主体で進行し、
終盤でシリアスになり時に泣けるシーンになるのですが、
大まかなパターンは今作も同じです。
一言で表現すれば私の感性にピッタリとあってたってことですし、
感想自体はほとんど同じ事の繰り返しになるのでね。

今回は歌が4曲入ってました。
『メグメル』『影二つ』も良かったけれど、
やっぱり『小さなてのひら』が最高でしたね。
初めてENDで流れたとき、思わず鳥肌がたってきましたから。

他に今作で感じたのは、日常パートの強化でしょうか。
keyの作品は序盤の日常パート(笑いの要素)と、
終盤のパート(泣きの要素)から成り立ちます。
しかしながら『ONE』以降、その笑いの要素は徐々に弱くなってきていました。

それが、この『CLANNAD』で持ち直した気がします。
春原の存在が大きかったんでしょうけどねw
『ONE』のところでも書きましたが、
keyは男性キャラがボケで女性キャラがツッコミの方が面白い気がします。
その点『kanon』と『AIR』は女性陣がボケばっかりでしたので、
ちょっとバランスが悪い感じがしたものです。

それとね、ここを指摘する人は余り多くはないんですが。
ノベルっていう形式は、ADVの中でも特にシナリオ重視な作りでして。
それ故に、ゲーム性って点でも非常に弱かったりします。

とはいえ、そういうノベルなりにゲーム性を高めることは出来ます。
勘違いしないで欲しいのですが、それは単にアクション等、
他のジャンルのミニゲームをとってつけろと言うのではありません。
あくまでもノベルゲームという基本システム上でのゲーム性という意味ですよ。
(この点に関しては詳しく書くと長くなるので、
コラムあたりで別の機会に書こうとは思います。)

『CLANNAD』はそのノベルとしてのゲーム性を出すことにも、
非常に力を入れていたと思います。
具体的には、ちょっとしたテキストの変更や細かい分岐とかですね。
まぁ、正直その試みはそれ程上手くはいってない気もしますが・・・
しかし結果はどうあれ、その意気込み自体は評価しても良いのではないかと。
ここら辺は、アニメでは絶対に味わえないゲームだけの特権ですからね。
こういう部分がもっと評価されていかないと、
今後のノベルゲーに明るい未来はないでしょう。
単なる見るだけの作品ではアニメや漫画には勝てないし、
そのうち全部アニメ等に持っていかれて、
ゲームの価値は全く無くなるでしょうからね。
『CLANNAD』は努力の跡が見受けられたから、
少なくとも他のノベルよりは一段高く評価できるのです。

またボリュームが半端じゃない上に細かいフラグが多岐にわたってるため、
フルコンプは結構大変かもしれません。
フルボイス版の声を全部聞いてたら、余裕で100時間越えるでしょうし。
ボリュームが多ければ良いというものでもないですが、
少なくとも本作のボリュームに不満を持つ人はいないでしょう。

何はともあれ、keyの集大成。
これを書いてる現時点では最高のノベルと考えます。

CLA01.jpg

ただ注意してもらいたいのは、私の評価における現時点の最高とは、
歴代の最高と決してイコールではないのです。
単に個人的な点数だけならば、
『CLANNAD』は2001年以降のノベルゲーに限っただけでもトップではないです。

点数というのは、発売した状況で判断すべきと考えます。
例え今となっては平凡なグラフィックだとしても、
当時ずば抜けてたらそれは高得点に値すると考えるからです。
後はその点数が年を経るごとに下がっていくだけで。

現時点では『CLANNAD』は『AIR』より上でしょう。
でも2000年に『AIR』をやった時ほどの衝撃は、
正直『CLANNAD』にはなかったと思います。

『AIR』から『CLANNAD』までの4年間、
ノベルだって少しずつでも進化を遂げてきました。
でもkeyの進化は、周りの進化と比してそれ程でもなかった気がします。
もし仮に『CLANNAD』が2000年に発売されてたとしても、
技術的には何ら違和感がないとは思いませんか?

2000年の『AIR』発売時には業界トップとも言えたkeyの塗り。
しかし2004年の本作発売時には、
水準以上ではあっても既にトップにあるとは言えないでしょう。
ボリュームに比して枚数が少ないのも頂けなかったですしね。

ストーリー面にしても、集大成と言えば聞こえはいいかもしれません。
でも、裏を返せば同じことの繰り返しで独自性に欠けてるっていうことです。
『CLANNAD』から始めた人は、きっと心底楽しめたでしょう。
しかし『MOON.』からやってる人からすれば、
「また同じ事かよいい加減飽きたよ」ってなっても仕方ない作りです。

ほとんどの面で、目新しさが欠けてるんですよね。
ウリだった音楽も歌はよかったけど、今作ではBGMは弱かったですし。
なので基本的にkey作品は声なしでってすすめてる自分も、
『CLANNAD』に関してだけは声付きをすすめます。

以上が現時点最高と言いながら、
歴代で最高点でない(ノベルでは、5番目の評価)理由なのです。

最後に、アニメを見てる人でゲームもやるべきか悩んでる人へ。
ゲームはいわば体系書や基本書であり、全てについて触れられています。
一方で、アニメは個別の論文集のようなもの。
アニメは部分的には深く掘り下げられており、
その部分に関しては原作をもしのぎますが、
削られている部分も多々あるわけです。
両者は相互補完する関係にあると思うので、
できればゲームもやってみて欲しいなと思うのです。
他方、ゲームだけやってる人にもアニメはオススメです。
基本的にはよく出来てるので。
あの名場面が動くってのは、やっぱり違いますからね。

ランク:AAA-(名作)

CLANNAD

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と、それはともかくCLANNAD。
Keyによる泣きゲーの、取り敢えずの到達点だったような気がするゲームでした。

AIRが、理不尽なイベントの前では人生なんて路傍の石だと力説したような作品で、ちょっと購入を悩んだのも事実ですが、KANONには大はまりしたので購入しました。
ただまあ、全国のゲームファンが大絶賛するこのゲームを、私的には数点のポイントが台無しにしてしまったんですがね(苦笑)

1に、藤林涼を気に入った点。
初回ロットでやってたんですが、涼を気に入りました。
で、攻略と言ったらアレですがゲームを進めるに従い有名なバグ……双子なのに杏と涼で誕生日が違うアレ。アレに気付いたとき、
「きっと実は従姉妹とかで双子じゃないんだ!」
とかワクワクしたものです。
まあ、バグだったんですがね。
しかも、涼はゲームシステム上ヒロインじゃなくバッドエンドもどきの扱い。
挙げ句にカッペーに唐突に入れ込むなど、刹那的思考でガンガンプレイヤーを攻撃してくれたもんです。
ここで、なんというか興ざめしたのは確かです。

2に坂上一家。
これが拙かったですね(笑)
智代の弟が一家を引き締めるために他人の車に当たり屋を~のシーンが出たとき、私と同時期にプレイした友人グループが大爆笑してしまったんです。
何を隠そう知人に、親の借金をなんとかするために本当にリアル当たり屋を敢行して、バレちゃった奴が居たんですよね(笑)
逆に借金が300万増えてました。
私らのなかでは、未だに1○ッチ(知人のあだ名)=300万の単位として扱われてます。
で、これにツボった私は、以後智代が出てくる度に当たり屋行為を連想して思い出し笑いをしてしまい、ウリである泣き部分を笑いで流してしまったんですよね。
弟も常識の無い人間ですが、智代自身にも、一見常識人っぽいくせに実は常識が無いキャラ立ちが目立ち、自分の中でギャグキャラ化。
酷いときには、知人と攻略情報交換の時、○ッチ姉とか智代のこと言ってました。
こうして泣き要素を一回笑いで吹き飛ばすと、CLANNADの重要部分である泣き部分が……冷静に考えると悲劇度が高ければ高いほど関係者の自業自得部分が大きいことに気付いちゃうんですよね。
なんというか、泣き部分が関係者全員の壮大な八百長に思えてしまう感じ。
そのせいか、毒部分の薄いことみや、攻略キャラ所か立ち絵もありませんでしたが仁科りえが話しとしては好きでしたね。
尾崎豊をモデルにしたような電工さんは、尾崎豊世代としてはちょっとイヤだったですね(笑)

あと、一応智代アフターもやりましたが……やっぱり坂上一家って、岡崎家に勝るとも劣らない地雷一家じゃないですか(笑)
朋也が死んだのは事故ですが、理論じゃなくこの一族同士でひっつこうとしたらとんでもない目に遭うだろう、とプレイ開始して直ぐに思ったので、ゲームのメッセージ性も吹き飛んでましたね(苦笑)

この二つのゲームで感じて、アニメのシャーロットで実感したのは、麻枝さんは悲劇を思いつくのは得意で、そこへ居たる道筋を考えるのは苦手であろう、と言う事でした。


あと、学生時代よっぽど生徒会に酷い目に遭わされたんでしょうね(笑)

ではではm(_ _)m

> と、それはともかくCLANNAD。
> Keyによる泣きゲーの、取り敢えずの到達点だったような気がするゲームでした。

ここは、私は違う認識を持っていますね。
Keyの作品(タクティクス時代を含む)には、どれも泣ける要素がありますが、泣ける要素に特化し、その観点から、ゲーム上の不要な要素も、ストーリー上の不要な要素も、ことごとく削っていった究極的な姿が『AIR』であり、『AIR』プレイ時には、もう行きつくところまで行ったなという認識でした。それゆえに、もうこのジャンルは先がないなと思いましたし、現に、以後は他所からも劣化模倣版しか出ていません。
『CLANNAD』は逆です。ゲーム的な側面からも、ストーリー的な側面からも、削ったはずの部分が復活しているというか、作品全体の構造が90年代の作品のようになっているわけで、原点回帰みたいなところがあるんですよね。
だからいろいろ詰め込んだことにより、ブランド的には今までやってきたことの集大成という印象は受けたものの、泣きという観点からは前作が到達点であり、今作はそれを受けての仕切り直しとして、家族という異なるテーマに挑んだと思うのです。


> 1に、藤林涼を気に入った点。

藤林涼は、そういや、そういうこともありましたかね。
まぁ、個人的には、サブヒロインの中の更に細かい部分なので、重箱~的な感じでもあり、正直どうでもいいやって思ってましたが。


> 2に坂上一家。

智代は、一見常識人っぽいけど~って感じではなかったですかね。春原とのやり取りなど、わりと最初からギャグ色強かったですし。
むしろ人と異なる部分がいろいろあって、でも、過去をやり直して常識人っぽくありたいと装い、またその装った表面が本物となるようにと努力し続けているって印象です。必死に取り繕いながらも、自分の理想像に向けてがんばるところが、高校生らしくて微笑ましいなと思っていました。


> あと、一応智代アフターもやりましたが

智代アフターも、周りが原因で悪くなるだろうってのはKey作品なら分かり切ったことであり、それはプレイ開始してどころか、プレイ前から十分想定できることなのかなと。
理不尽でれあれ何であれ、原因はともかくとして、結果が生じてしまった以上、現実として残るのであり、それに対して智代がどう向かい合っていくのかという、「その後」に重点が描かれた作品であって、結果が生じるまでの過程に重点を置いて書かれた作品でもないですからね。悲劇に至るまでの過程が上手いライターでないのは、初期の作品から思っていましたし、過程部分を長々と書いて駄目なら低評価とならざるをえませんが、そこに重点を置いて描かれていないのであれば、あまり気にするべきではないと思いますね。

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