アダルトゲームの歴史 1996年 その5

アダルトゲームの歴史 1996年 その5

アダルトゲームの歴史を振り返るシリーズの第38弾ということで、
1996年の5回目になります。

今回は個人的見解であったり番外編になりますので、
やや特殊な位置付けになります。
ちょっと否定的な物言いが増えていますが、ご容赦下さい。

ここまであまり触れてこなかったけど、ネットが普及し出した頃に広まった風説からすると、ないと違和感を覚えやすいのがリーフのビジュアルノベルの扱いなのでしょう。後の信者の暴走と、それを真に受けて信じ込んだ人が多かったことから、いろいろ屈折して拡がったみたいなので、ちょっと面倒臭いのです。

まずシステム面なのですが、『雫』や『痕』がチュンソフトの「サウンドノベル」を参考にして、そこに立ち絵も描くことで「ビジュアルノベル」としたのは事実です。だからビジュアルノベルのシステム的な起源は、間違いなくサウンドノベルなのです。

でも、それはビジュアルノベルがサウンドノベルを参考にしたというだけであり、アダルトゲームにおけるノベルゲームの元祖であることとは一切関係ありません。93年のところでも書きましたが、既にジャンル名に「ノベル」という名称が付されて発売されたゲームはありますし、あえて「ノベル」とつけなくても同様の形式のゲームは80年代から既にあるのです。因みに、80年代の当時の商標の点で既に、紙芝居的だのゲームブックみたいなといった評され方をされた作品もありましたからね。紙芝居という揶揄した表現も、実のところ結構歴史が長いのです。
80年代からノベルがあるということは、サウンドノベルからアダルトノベルへと派生したという発想自体が、本来は誤りなのです。
もっとも仮に百歩譲って80年代のノベルは後に続かず一度断絶し、サウンドノベルがアダルトゲームに影響を与えたのだと考えたとしても、その影響を受けたであろうノベルは93~95年の間に増えた他のノベルゲームなのであり、ビジュアルノベルが初めてノベルの概念を取り入れたということはありません。そもそもビジュアルノベルというのは、最近はいつの間にかノベルゲー全般という意味で解釈する人が増えていますが、本来は画面一杯に文字が表示される形式のノベルのことであり、その様に考えた場合にも、例えば95年の『メッセンジャーフロムダークナイト』などが存在し、元祖云々という観点からは完全に誤りでしかありません。昔の人はそれを知っているから、シナリオ面で注目する人はいても、システム的な面から『雫』に注目しなかったのです。
で、逆にこれまでの流れを全く知らないような、サウンドノベルで子供時代を過ごしつつ、WIN95以降アダルトゲームデビューをした世代が、『雫』が元祖と言いだして後に持ち上げるようになったのです。

もっとも過去に例があっても、そこに新たな創意工夫があったり、或いは全く同じスタイルを後続の作品が真似たのなら、ノベルブームを「確立」したとして別途語る価値はあります。
しかしまず創意工夫の面なのですが、元祖の「ノベルウェア」は画面の下半分(今の3行スタイルの倍の面積)をテキスト欄として表示していました。これを全画面に拡大したサウンドノベルは一応はアレンジと言えるのでしょう。他社の作品にしても、絵を見せたいから立ち絵をサイドに置いて残りを全部テキストにするとか、逆に立ち絵を中心に置いてそのサイドに縦書きで配置するとか、画面の重要でない4分の1ほどのスペースを可変的に利用するとか、上段と下段の双方にテキスト欄を配置するとか、自分の作品の特徴に合わせていろいろ工夫しているのです。
それらに対し、ビジュアルノベルは使い方という完成度の面では褒める部分はあるものの、新規性という面ではサウンドノベルのシルエットを立ち絵にしただけであり、しかもその立ち絵の導入だって他社が既にやっているわけですから、独自性・新規性という創意工夫の面では新たに語ることがないのです。
もちろんビジュアルノベルが好きで褒める人はいましたが、演出におけるエフェクトの使い方であるとか、完成度の面で褒めていたのであり、新規性や独自性ではなかったです。それがどこで話が摩り替わっていったのか、何とも不思議ですね。

それでも完成度を高めたことで、そこからビジュアルノベルと同じスタイルがその後主流になったのであれば、元祖でなくともブームの先駆けとなったとか後に影響を与えたという意味で確立したと書くことはできます。
でも、そんな時代って一度でも来たことがあるでしょうか?
多少は全画面方式が増えたかもしれませんが、それは誤差の範囲内でしかないし、いつの時代も画面下部に3行テキスト欄を設け立ち絵で進行しつつたまに1枚絵という80年代から続く伝統的なスタイルが主流なのです。後のノベルゲームの代表格であるkey関連のゲームだって3行スタイルが基本ですし。ビジュアルノベルのスタイルが主流になった時代など一度としてないのです。

そもそも先ほどから述べている完成度とは何なのか。それがリーフのノベルの特徴と考えられるのでしょうが、リーフ系のビジュアルノベルは、立ち絵の細かな動きを重視することにより一枚絵の量を減らし、コストを抑えることで中小ブランドでもゲームを作れるという特徴があります。この路線が増えたのならば、確立したと言うことも可能でしょう。
しかし、このような立ち絵重視の路線に対し、90年代後半の他社の作品は、立ち絵や動きよりも、明らかにイベントCGなどの1枚絵のクオリティを重視する方向に進んでいます。それで立ち絵の部分の進化が大幅に遅れてしまい、その間に目パチ・口パクなどの技術は廃れ、ゲーム機で立ち絵をアニメーションさせる方向で発展しても全くそれに倣おうという動きもでてこなかったのです。それがようやくゼロ年代半ば頃になってアージュのようなごく一部のブランドが立ち絵にも力を入れ始めるようになり、更にゼロ年代後半になって立ち絵に力を入れ始めるブランドの数が少しずつ増えていき、現在に至るわけです。
もしリーフ的な思想が後のノベルに影響したと言うのであれば、ここまで立ち絵が軽視され発展が遅れるような状況には絶対になっていないはずです。
むしろアイデス系統の1枚絵を大事にしつつそれに合わせてストーリーを展開する傾向が主流だったから、今日のような発展をしたのであり、影響の大きさで考えるならばアイデス系のADVを主に据えるべきなのです。

それとね、なぜか葉鍵史観の人は、この段落の文章を読み飛ばしてしまうのですが、私が一番言いたいのは以下の文章なわけでして。
即ち、リーフの「シナリオ」に影響を受けた作品が後に登場するとしても、それは「シナリオ」の話であって、「システム」とは関係ありません。だからリーフのシナリオは非常に素晴らしかった、それに影響を受けてアダルトゲームを作った人が出てきたと言うのであれば、それには反対はしていません。私が否定しているのは、システムに関しての話なのです。一部の論壇だか何だかはシステムの話をしていたはずが、いつの間にかシナリオの話にすりかえられており、システムとシナリオの話を混同しているから、分かったような分からないような奇妙な理屈ができあがってしまうのです。

加えて、ここは個人の価値観も絡むのですが、『痕』は最初強制バッドになります。だから繰り返しプレイさせようと意図したとの見解もありますが、それってコマンド選択式で叩かれやすい総当りと何が違うのかなと。実質1本道で繰り返し同じものを読む構造は、総当りと変わらないでしょうに。マイナスに評価されるのはまだしも、これをプラスに考えるのはちょっと違うのではないかと。『かまいたちの夜』のようにプレイヤーの腕次第で最初から真相にたどりつけ、その後の楽しみにオマケモードが増えるのとは違いますからね。
仮に百歩譲ってクリア後に選択肢が追加されることで再プレイの必要性を見出せるのだとしても、そのクリア後に新たな選択肢が登場するというのも、少なくとも95年にはエロチックバカノベルがやっていますし、しかも弱小ブランドではなく、最大手である当時の3強の1つがやっているわけですから、当然知名度もそちらの方が上だったでしょう。だからビジュアルノベルによって再プレイの必要性を見出せたというのも完全に誤りでしかありません。
ストーリーやシナリオの評価は個人の主観によるから褒めるのは構わないとしても、システム面の起源をリーフに求める見解は誤りでしかないのです。
それと『痕』により物語の多層構造の表現に成功云々というのもありますが、それこそマルチサイトで培われた発想であり、今更『痕』を持ち出すまでもありません。

後に『クラナド』が「人生」とか『Fate』が「文学」とか言われだしますが、これらはアンチがファンを馬鹿にして揶揄して生まれた言葉です。「ビジュアルノベルによりノベルゲームが確立した」という表現を当時から用いた人もいましたが、実はそれも近いものがあるのです。
私も前回までに書いてきましたように、時代はもう複雑なものを要求しなくなり始めていました。従って、とりあえず最低限の背景と立ち絵を用意しておけばそれで十分、萌えるシナリオとキャラがあれば、今まで相手にされにくかったノベル形式でも受け入れられるようになり金のない中小ブランドでもヒットできる可能性が生まれたよという意味、確立したとはそのような新たなビジネスモデルが出来てきたという意味にすぎないのです。もちろんそのヒットの可能性は他社のノベル系ゲームにも妥当するのですが、ビジュアルノベルという言葉がちょうど例として使いやすかっただけにすぎません。それが「人生」や「文学」を褒め言葉と勘違いする人が生まれたように、ここからノベルが生まれたと勘違いする人が出てきたってだけなんですよね。

それと似たような話ですが、「ビジュアルノベルによりそれまでのゲーム性重視からシナリオ重視の時代へ」となったというのも、誤りと誤解が混ざっています。
そもそもゲーム性重視からシナリオ重視へというのは、全体的な流れからすれば、その間にビジュアル重視の時代が挟まれるように思うので、それだけでも短絡過ぎるように思うのですけどね。もっと厳しく見れば、そもそもシナリオ重視の時代なんてあったのかとなりかねないですし。信者が多いとされるライターの作品が売上の上位を独占する時代なんて一度もないのですから。
まぁその点は、ここでは一応構わないとしましょう。でも、ゲーム性重視というのはいくらシナリオだけ良くてもそれだけでは大ヒットしないということであり、大手になるにはシナリオだけでなくゲーム性など複数の要素で秀でていることが必要だよってことです。
当時もマイナーなだけであって、シナリオ重視のゲームがなかったわけではありません。ゲーム性重視の時代だからシナリオ重視の作品はないに違いないと憶測で決め付け、ビジュアルノベル以前にストーリーの楽しめるものはなかったみたいな書き方をすることは、過去の作品に対しあまりにも失礼な話ですし、その人が単に知らないだけにすぎません。

また『雫』や『痕』によって流れが変わったというのも嘘です。96年時にはニフティサーブなどのパソコン通信を舞台にして、一部の同人作家等が盛り上がっただけで(こういうことを言い出す人の経歴を辿ると、大抵は同人関係者でしょ。その手の人は自分の関心を一般論みたいに語ってしまうので、知らない人に誤解を与えてしまうのです。)、まだリーフというブランドがようやく認知され中堅の仲間入りするようになった程度のものです。
新作200タイトルほどの中で、売上順位は痕は20位前後、雫は30位圏外です。少し考えてもらいたいですが、例えば最近の年間売上の20位前後のゲーム、今は500本ほど発売されているので、新作における上位1割なら50位前後でしょうか。その辺に自分の好きなゲームがある人もいるでしょう。そのゲームを好きと言うのは個人の自由ですが、その順位のゲームの登場を指して、これで業界の流れが変わったと言えるでしょうか。それでもブランドが中堅として認知されるに至ったと言うには足りるでしょうが、もっと上位の作品を差し置いて業界の流れが変わったと言うのは言いすぎでしょう。
もちろん、そういう売上上位でない作品であっても、それをプレイして業界に入ってくるいるでしょうから、影響が皆無とは言いません。けれど、それはリーフの作品に限った話ではないですし、影響を受けた人の例として良く虚淵さんとかの名前が挙がるけれど、名が挙がる人って、ほとんどエロゲは売れていない人ばかりですし、作品間の影響はあったと言えても、業界全体の流れという観点では流れが変わったとは言えないと思うのですよ。
この段落の反論で虚渕さんとかの名前を出す人もいるのだけれど、作品間の影響と業界全体の流れでは論点が異なるのであり、ここで彼の名を反論として挙げるのはハッキリ言って的外れです。

もしリーフの作品を例にして流れを変えたと説明するのであれば、それは97年に発売された『To Heart』でなされるべきなのです。少なくとも96年の時点では3強には全然及んでいません。
そしてこれまでにも書いてきたように、業界全体が中小を中心に90年代に入った辺りから少しずつではありますがゲームの簡略化を行ってきていますし、それに合わせて読み物系のノベルも出てきているのです。リーフによって流れが変わったのではなく、既に業界自体が向きを変えていたのです。好き嫌いは別として(個人的には『To Heart』より『痕』の方が好きなのですが)、『To Heart』は業界の流れを語る上で名前を挙げる必要があるとしても、『雫』と『痕』にはそれがないのです。

ちょっと結論を先取りした感もありますが、ストーリー面について。同人作家の中には『雫』に注目した人もいたみたいですが、一般的に96年当時に評価されたのは専ら『痕』で、『雫』は一応シリーズの1作目としてセットにされるおまけみたいなものでした。
ストーリー・シナリオの評価というのは個人の主観で変わるので難しい部分もあるのですが、中には高橋さんのテキストがたまらなく好きなんだって人もいます。そういう人は『リアライズ』も褒めていて、その場合は考え方は一貫しているしありなのだと思います。
でも一般的には『リアライズ』がヒットしなかったわけで、そうなると多くの人は『痕』が伝奇だったから珍しさで凄いと思っただけにすぎないのでしょう。伝奇やローファンタジー系は90年代前半には小説等でも冷え込んでおり、あまり馴染みのないものになっていましたから。
でも、『痕』のオチの部分がSFになっていたり、他にも昔の伝奇小説を単にダイジェスト版にしたような安易さがあります。『痕』にはオマケ部分ではあるものの、盗作による削除事件もありましたし。『雫』も細部は違うから完全なパクリではないとは言え、評価される理由になっているメインとなる部分は某小説からの借用です。本来創作家が一番大事にする設定や根幹部分を他から借用して、細部だけ変えてHシーンをつけてゲーム性もなしに単に読み物として発売する。それが果たして良いストーリーとかシナリオ重視と呼べるのかと思ってしまいます。
まぁそういうのがゼロ年代に入ってもうけていますから、シナリオ重視と言っても所詮はその程度のものであるというか、少なくともそうしたばれなければ真似ても構わないんだという風潮を生み出したり、そういう悪影響を受けたライターを生み出すきっかけになったのが『雫』や『痕』なのかもしれませんね。
細部だけ変えるというのは二次創作の発想でもあり、記号化され単純化されたキャラが使いやすいということもあって、ビジュアルノベルは同人作家にはうけたみたいですけどね。今は同人市場も大きくなって同人市場とアダルトゲーマーがかなり重なっているのでしょうし、そうなると同人の勢い・主張がアダルトゲーマーの勢い・主張と重なる部分も多くなるのでしょうが、当時はまだそうでないということで、同人作家の意見・支持と言うのはあくまでも全体の中の一部でしかない、決して一般論ではないということなのです。

ついでに何だか狂気や猟奇まで『雫』からみたいな論調もたまにありますが、これまでにも書いたようにそういうゲームは以前から一杯あります。『雫』が起源ということはありえません。

心理描写や細かい描写という面では、例えば『狂った果実』なんかはインパクトのある絵よりも、むしろそれを説明する細かい情景描写であるとか少女の狂気が注目された作品でした。
また主人公の心理描写という面では、他の女性主人公モノのゲームなんかでは主人公とプレイヤーを完全に分離することでわりと丁寧になされていたものが多かったように思います。
しかし男性主人公の心理描写という側面は、アニメで言えばエヴァ以前にはあまりなかったのかなと。
いや、95年辺りには幾つかあったのですが、あったけど注目されなかったというのが正確なのかもしれません。
エヴァあたりでそういう路線に目覚めた人が、「その後」に発売されたアダルトゲームに手を出しそこでリーフ作品に出くわしたということなのでしょう。

だからどの作品に触れるべきかはテーマとも関連していて、「アダルトゲーム史」の上では雫や痕に触れる必要はないと思うのだけれど、逆に視点を変えて「当時の典型的なオタクの興味の変遷を辿る」上で自分語りを始める場合には必要になってくることもありえるということなのでしょう。

以前、ゼロ年代に発売された『○○』に対し(尚、○○には具体的なタイトルが書かれていたのですが、あくまでその人の意見であり、その作品の多くのファンはそのような言い方をしていないので、誤解を与えないよう伏字にしました)、これまでのノベルは未熟であり、『○○』でノベルが確立したという意見をどこかで見たのですが、やってることは当時のリーフファンと同じなんですよね。俺の好きなゲームによりジャンルとして完成したのであり、それ以前の作品はやったことがないから知らないけど、きっと未熟で駄目なゲームに違いないって。
もちろん個々の作品を好きになるのは個人の自由だし、誰しも世間受けはしなくても自分は好きな作品があると思いますので、感想や評価は多様であって構わないと思うのです。ただ、何でもかんでもビジュアルノベルから始まったとか、確立して後に影響を与えただとか、ここが起源だみたいな風に持っていかれると、どこかの国みたいな気持ち悪さを感じてしまいます。そうしてここからとラインを引いて、過去のゲームの功績を全部自分のものにしつつその過去の作品を闇に葬り去ろうとしているのですから、単に自分の好きなゲームが一番と騒ぐ信者より明らかに性質が悪いのです。もちろん、便宜上分かりやすくするために、ある時点でラインを引いて語ることは否定しません。しかし、ラインを引くのなら、引いた後だけを語れば良いのです。以前書いた書籍の感想でもそうなのですが、別に昔のことを書かないことに文句を言っているのではありません。ラインを引きつつ知りもしない過去の作品否定を織り交ぜて、過去の作品の功績をも自分の好きな作品の功績にすることに不満があるのです。
熱狂的なファンが多くても某巨大掲示板で新たな板が作られたりしませんが、葉鍵板がファンの多さではなく信者の痛さで隔離されたというのも、ある意味納得できる話なのかもしれません。
そして某巨大掲示板ができたり、ウィキペディアができたり、ネットが本格的に普及し出すのも90年代末からゼロ年代はじめのことであり、信者が一番元気だったりネットの初期で書けばどれも真実みたいに扱われ好き放題できた時代だったことから、虚偽が多数広まっていったのです(古いゲーム関係のウィキペディアは嘘が非常に多いですから)。

今回は私見も含まれていますが、当時の認識と現在ネット上で目に入りやすい情報が全く異なっていることは事実です。
96年の総括を書いた当時の雑誌には、今年は新しいジャンルが生まれなかったとか、大きな新展開を欠いた年だと書かれたものがあります。
96年には後に名を残す名作も多いですから、狭い範囲で捉えるなら少し違和感のある文面かもしれません。しかし個々の名作は前年までに生まれたジャンルの完成度を高めつつ、そこに独自の要素を加えていったものがほとんどです。だから「なかった」と書かれると少し抵抗もありますが、「前年ほど目立たなかった」とか「少なかった」という意味ならば、「大きな広い範囲」では正解なのでしょう。少なくとも、この雑誌の文面に意外だとの感想しか抱けないのであれば、その人はネット上の虚偽情報に毒されすぎていると少し認識を切り替える必要があるでしょう。
例えば『YU-NO』にしても、P&C式としてのシステムや絵・音・ボリュームなど基礎的な部分の完成度を最大限にまで高めつつ、ADMSという新しいシステムを導入しています。
新鮮さはあるものの、それはADMSという個別のシステムであり、大枠としてはP&C式という基礎システムやSFという物語上のジャンルは既にあるわけで、一つのジャンルにおける集大成ではあったとしても、「新しいジャンルや新しい展開」を作ったとは言えないのでしょう。
もっと分かりやすいのが『虜』でしょうか。WIN用のゲームとして絵や音は飛躍的に向上し、細かいシステム面などでは独自の要素が取り入れられている非常に完成度の高い作品です。しかし調教SLGとしてのジャンルを生み出したと言えるのは前年の『SEEK』であり、『虜』はその路線を受け継いだ作品と言えるでしょう。
リーフのノベルにしても、その演出方法に魅力を感じ、完成度が高いとして賞賛した人はいます。しかし新しいジャンルが生まれたとか、新しい展開に至ったとは認識されていないのです。
1つのゲームとして優れていることと、新しいジャンルや方向性を打ち出すこととは、別の話です。
93年頃のゲームは粗も多く名作とは言えないにしても、新しい方向性を打ち出したゲームが多数ありました。
96年の場合、例えば恋愛ゲームの隆盛は良く言えばジャンルとしての成熟なのだけれど、前年の傾向を受け継いだだけであり、新しい展開とは言えません。
他のジャンルにしても個々の作品には独自の新システムや新しい属性が含まれたり、基礎部分の完成度も増して作品としては優秀だったとしても、大きな視点から前年にはない方向性を打ち立てたと言えるゲームはなかった、或いは少なかった年なのでしょう。
96年というのは、全体としては前年までの集大成として完成度が高められたり、個々の要素内部におけるバリエーションを増した年なのであり、この年から方向性が変わったという認識は完全に誤りであり、それどころか人によっては新しい展開すらもなかったと感じられる年だったのでしょう。
良く言えば成熟した怪物ソフトの多数登場した黄金期でもあるのですが、その一方で停滞した雰囲気を感じ取った人もいたということですね。

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